エヴァンゲリオンその2
こんにちは。
昨夜も金曜ロードショウで放送されていましたね
「エヴァンゲリオン新劇場版Q」
【公式】ダイジェスト これまでの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
TV版ということらしいけど、劇場版とどこがどう違うのかはよくわからない・・・というか物語それ自体がもはや・・・わからない。。。
ゼーレ?インフィニティ?ガフの扉?リリス?アダムス?
正直全くわからないんだけど、戦闘シーンはもはやアートですね。
あと、20年以上の付き合いになってくるもんだから、それぞれのキャラにもそりゃ感情移入もしてくるだろうし、、、
ただ、マリ?真希波・マリ・イラストリアスさん?いつも余裕こいてかっこよく戦ってるけどあんたいつからエヴァの主要キャラになったの??わたしゃ聞いてないよ~
で、あんたのバックボーンも描かれてないからあんまみんなから好かれてないよ、あなた・・・まぁそりゃメガネはよくお似合いですし、シンジ君に「世間を知れ!」って説教するくらいはリアリストなんでしょうけど。
それにしてもシンジくんかわいそうですよ。
前作の最後では綾波レイを助けに行くときにミサトさんから「行きなさい!自分の為に!!」なんて囃し立てられて、いざそれでニアサードインパクトが起こったら、今度は「二度とエヴァには乗らないで!なんもしないで、(チューか乗ってまたパニックったら今度は殺すからね!)」なんて、14年ぶりに意識回復して突然そんなこと言われたら、シンジ君じゃなくても混乱しますよ。
混乱し傷ついたシンジ君を癒していくカヲル君・・・そこに絶望と光を見出すシンジ君。これがカヲル君のシンジ君を想う気持ちである以上彼の行動はやはり洗脳ではなく友情だったと思いたい。
「ボクはずっとキミのことだけを考えて生きてきた」
ただ、最後のカヲル君のパニックぶりは少し、、、かっこ悪くなかったです??
二本ある何とかの槍が同じものかどうかなんて事前にちゃんと調べておけよ!命かけて行ってんだったらさ!って思いませんでした?
あれだけ聡明な少年でも、仕事の8割は事前準備に充てろ!という現代のビジネスパーソンの常識がまだわかっていなかったようですね。
やはりカヲル君は色々な意味で最後は、パターン青だったんですね。
さて公開が延期している完結版とされている「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ですが、これまでの20年以上の物語が完結するとなると、わけわかんないなりに感慨深いものがあります。
延期は残念ですが、まぁ20年以上待っていたわけですから少しくらいなんてことはないですよね。
大人たちの起こしたパニックに子供たちが巻き込まれ、今度はそれをも上回るパニックを子供たちが起こして、そのパニックに大人たちがパニックを起こして・・・というパニックの無限ループ。。。
でおっさん二人で
「想定内だ」
「まぁ仕方ない」
と言い続ける、これがエヴァンゲリオンなんですよね、今のところ。。。
では。。。
エヴァンゲリオンその1
こんにちは。
ドンピシャ世代なんですよね「エヴァンゲリオン」
95年放映当時は浪人生だったので全く存在自体知らなかったのですが、当時愛聴していたABCラジオの「アシッド映画館」という番組内でエライ熱く語っているなーと
「主人公の少年はアムロレイをもっとヒドくしたフニャ男なんですわぁ!」・・・フニャ男って・・・
で、高校時代MBS深夜に放送していた「ヒーローは眠らない」って枠で数週間にわたり初代ガンダムが一挙放映という今でいう神回??があって、それを友達がすべて録画するという高校3年間最初で最後のファインプレーの賜物であるVHS(DVDではなく・・・)を借りて初めてきちんとガンダムを最初から最後まで見て、やはりハマってしまった自分としてはこれはもう見るしかないなと。。。。
で、で、ようやく花の大学生になり早速借りに行こう!としたら愛用していたツタヤ心斎橋店は閉店していて、近くの小さなレンタルビデオ店では各巻1~2本ずつくらいしか置いておらず、そんなもん地元の暇なヤンキーどもの独壇場ですべて貸し出し中、、、しかたなく心斎橋店亡き後、その存在を引き継いだ天王寺にできたツタヤあべの橋店まで足を延ばすことに。。。まぁ自分も暇な大学生だったわけですが。。。さすがにツタヤの旗艦店舗、品ぞろえが半端なかったです。心斎橋店もなかなかの品そろえで1~3階まであって、3階はアニメ専用フロアでした。ここでも「ふしぎの海のナディア」レンタルして一気見したな~。
あ、あべの橋店でしたね、、、ここはワンフロアだけでしたがとにかくだだぴっろかった!。。。ってことくらいしか覚えていないけれど、さすがにエヴァも各10本くらい用意してくれていて何とか1~3くらいはGETしてようやく見ることができました。ここでもDVDではなくVHSでした。DVDが広く普及しだしたのって実は2000年頃からですよね。。。
そんで感想はそりゃ面白かったですよ、内向的な少年、その少年にかまわざるを得ない周りの大人たち、子供たち。。。超受け身でも周りの人たちがこれだけ構ってくれる(しかも構ってくれるのが美人ばっかり!)、ここまでやってくれたらそりゃ「逃げちゃダメ」だよな、なんて、、、念願の大学生になったものの超受け身で誰から構ってもらえずにいた現実で悪戦苦闘していた自分にとってはまさに逃げ込む虚構としてはぴったしだったのかもしれません。。。そういえば自転車であべの橋店へ通う途中、よく日本橋をあてもなくぶらぶらしてなんかいろんな店をほっつき歩いていました。中古CD、中古本、プラモデル、家電、エロ、超受け身だった人間にはなかなか魅力的な町だったのかもしれません。。。あとエヴァの最初のころって学園モノとしても楽しめましたよね。
そんな感じでハマったエヴァでしたが、何となくフェードアウトしていって最後まで見ることはなかったんです。
なぜか??
なんか物語が進むにつれて学園モノのライトな感じがなくなってインに入っていきませんでした??あれがいいんだよ!という人もいたんでしょうけど当時実家で見ていた自分にはなんかのめり込めなくなっていったんですよね、、、なんでしょう。。。
あと、さすがのあべの橋店でも当時社会現象と化していたエヴァの需要を満たすことはできず、いつ行ってもレンタル中、大阪中のオタクの餌食とされ、まだ孫さんの頭もきっとふさふさだっただろうし、ホリエモンも東大で麻雀三昧だった当時、ネット配信なんてそれこそエヴァでも描かれていないような絵空事、物理的に見ることができなくなっていたんですよね・・・
で、超受け身だった自分にもなんとか構ったり構われたりする現実世界が出来上がってきてそれで、エヴァという逃げ込む装置が必要なくなったのかもしれません。そういえば日本橋にも行くことなくなって、梅田とかアメ村とか行くようになっていました。。。。ここが分かれ道なんでしょうね、あのままエヴァにはまっていて日本橋の住人にでもなっていればもう少しクリエイティブな人間になれていたのかなぁ、それとも・・・逃げちゃダメなんだけど、逃げ込んでほしい、でもそのままそこにいてもらわれても困る、それが当時エヴァが若者たちに与えたメッセージだったのかもね。
それでも一応当時おしゃれ雑誌なんかにエヴァが特集されてたりもしてファッションとしての浸透も半端なかったんで映画は全部フォローしていました。映画版の便利なところはTV版見ていなくてもきちんとまたそこを土台にしつつ一から物語を作り直したところですよね、うまいというか、制作者側もTV版は不本意だったのでしょうね。ただTV版に中途半端に参加していた自分は少し混乱しましたが。
そんなこんなで20数年。
過去の輝かしい??逃げてはダメだったあの頃を振り返るブームが来ている40代半ば。
あの頃見た映画をまた見直すことが増えた今日この頃「そうだエヴァを見よう!」と思い立ち、TV版をまた一から今度は全部見る「逃げちゃダメ」なんだと「逃げるは恥だが役に立つ」の新年スペシャル版がムズキュン要素が少なく虚無感を抱いていた自分はまた現在もはや絶滅危惧種に認定されそうなツタヤに行くのであった・・・
つづく。。。「さーて次回もサービスサービス!」
色即ぜねれいしょん
こんにちは。
今日は色即ぜねれいしょんを見ました。
青臭い青春、青臭い青春、阪急京都線、梅田の紀伊国屋、梅田の旭屋、ロフト、ツタヤ心斎橋店、ツタヤあべの橋店、駿台大阪南校、松陰女子、高島屋の屋上、アメ村のカバン屋、タワーレコード心斎橋店、ミヤコ楽器、ベネトンのカバン、ビームス、ビブレで買ったスエードのコート、マクドのバイト、お中元の仕分けのバイト、ナイキのバッシュ、バイクで事故って死んだ同級生、マリオカート、ドラクエ、松島球場、中の島図書館、大阪球場の中古書店、東映会館のアニメイト、ふしぎの海のナディア、世に万葉の花が咲くなり、風の歌を聴け、夢で逢えたら、ごっうええ感じ、ねるとん紅鯨団、新庄、亀山、オマリー、パトリック、中込、田村、田中律子、週刊プレイボーイ、雛形あきこ、瀬戸朝香、宮沢りえ、宝生舞、星野ひかる、栂池、沖縄、京都、箕面、堺筋本町のトイレ、ドトールのコーヒー、CCレモン、出光美術館でのムンク展、ドーハの悲劇、阪神大震災、、、、、
せいぜい自分の青臭い青春なんてこんなものです。見ながらそんなことをぼんやり思い出していました。
セックスも、ドラックも、暴力もそしてロックンロールもありませんでした。。。
でもなんだか、作中の女の子たちは魅力的だし、男の子たちは馬鹿で憎めないし、お兄ちゃんたちは、なんだか頼りなくてもカッコイイし、愛すべき時代の愛すべき街の愛すべき青春がやっぱりとてつもなくうらやましいかった!
、、、1974年のあの魅力的な人々は、2021年の今、どーしてるんかな、、、
本日は成人の日、新成人の皆さんおめでとうございます!?
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
のど自慢
こんにちは。
「のど自慢」
また20数年ぶり、、、
この作品98年の秋にモニター試写の抽選に当選して梅田は堂島の東宝の試写室で観たんだよな~
1998年って自分的にいろいろなことがあり過ぎて人生で一番濃い一年でした。
そして残念ながら20年以上たってもあれ以上濃い時間はまだ今のところやってきていません・・・
まぁそんな濃い一年が終わろうとしていた銀杏くさい大阪の街でまた名作に巡り合ったわけです。
事前情報では、また竹中直人がマイク握ってキャッキャやってるわ~ぐらいにしか思っていなかったんですが、これが涙あり笑いありそして少しのホッコリありとまさに映画の王道!よっ井筒監督!やるね!って、何様やねん!
狭い試写室でしたが、映画が終わった後、なんかあ~良い作品見せてもらった!という満足感が試写室全体に広がっているのがよくわかったし、東宝の人もかなりの手ごたえを感じていたのではないでしょうか?!
たしか年明け過ぎにお正月映画第二弾的な感じで公開されたと思うけど結構ヒットしたんじゃないかな・・・そこらへんは思えてないけど・・・
まず大人から子供まで楽しめるというのが良い。
そして音楽を題材にしているから感情移入しやすいんですよね、しかものど自慢本番が物語のクライマックスなんて、ホントよくできています!
あと、井筒監督独特のあの関西ノリの演出もいいですね。
散髪屋の常連親子。
娘が急いでテレビののど自慢見るために親父のいる散髪屋にやってくるんだけど、息を切らせながらやってきた娘に対して
「おい、ちゃんとガスは切ってきたか!?」
今言わなくてもいいじゃん!でも言っちゃうよね!
ホント、物語と全く関係ないこんな一言が娘と親父の関係をさらりと表現してくれているし、この親父が笹野高史なんですが、この人が真面目一辺倒の小林稔侍演じる散髪屋に通っているってのがもう色々なネタ振りになっているんですよね!
あと、なかなか自分の気持ちをうまく伝えることのできない女子高生がある想いを込めて歌うシーンとか・・・
室井滋、尾藤イサオ、大友康平、松田美由紀、、、ほんと皆さん芸達者です!
とにかく大好きな1998年に観た大好きな映画です!
皆さんにもぜひ見てほしいです!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
マグノリア
あけましておめでとうございます。
昨年、年末に「マグノリア」再見しました。
これも大学時代に観て、それ以来です。
大学の卒業を間近に控え今はなき、大阪の北新地近くにあった東映会館で確か公開直後のオールナイトで観にいった記憶が・・・
時はおりしも超就職氷河期真っさだなか!自分も時代に逆らうことなく卒業後の進路は
未定・・・
一緒に観にいった仲の良かった友人も卒業を機に実家の広島に帰省しお別れ、
色々なことが変化していくこの久しぶりの感覚に
「あーついに自分の大学時代も終わってしまうんだなぁ~」と今ままで見て見ぬふりしてきた現実が目の前に否応なしにやってきてとまどうことしかできませんでした。
どうしようもなくなっている若者たちが夜中の東映会館のさびしい座席に座っていたわけです。
で、そのスクリーンに映し出されていたものは・・・
なんていうのか・・・どうしようもなくなってどこにも行き場がなく、それでもその場から脱出できなくてもがき続けている人々の物語でした。。。
そして衝撃の結末が!
大画面で体験したあの結末にフラフラしながら早朝の梅田の喫茶店で映画の感想を述べあい、なんだか重い足取りでてくてく歩いて帰宅した、2000年3月。
あれから20年振りのマグノリア。
北新地の東映会館はもうずいぶん前に取り壊されてその後その場所にできた建物は長い間誰にも使われることなくフェンスに囲まれた謎の空間になり、あのとき一緒に観にいった友達とも卒業後、メールのやり取りはしたもののついに二度と逢うことなく音信不通になっていきました。
そんなことをぼんやり思い出しながら、20年ぶりのマグノリアを楽しみました。
物語、というか映画自体本当によくできていて、3時間近くの作品にも関わらず全く時間を感じさせることのない内容でした。
あの結末がなにかと話題になりますが、あの結末が衝撃なのはやはりそこまでの過程の閉塞感がきちんと描かれているからなんでしょうね・・・その閉塞感をぶち破る結末!特にトム・クルーズの演技が良かったのと、やっぱりあのエイミーマンの音楽ですね!
なんで初見当時すぐにサントラを購入していました。。。
Magnolia - Aimee Mann - Wise Up
あれから現実の世界は相も変わらずでもがいてもどうにもならなく閉塞感だけが続いている日常。
あの衝撃的な結末なんて全く訪れることもなく今に至るわけですが、結局無事ここまで生き残ってここにああでもないこうでもないなんて20年前のこと書いてることがこれ以上なく幸せなことなのかな、なんて思うようにしている新年の昼下がりです。。。
今年もよろしくお願いします。
グッドウィルハンティング
こんにちは。
そろそろというかやっと肌寒い日が訪れてきていますね。
さて、また20数年ぶりに「グッドウィルハンディング」を見ました。
なぜ今みようと思ったのか?
ツタヤをウロウロして何見ようか迷っていたら「90年代の見るべき映画」的な特集の棚があってそこにあったので、、、とにかくなんかしっとりと20代の自分に語り掛けてくれた作品で「俺が朝お前を迎えに行くとき・・・」のベンアフレックのあのセリフとラストシーンが特に印象に残っていたのですが、今回も全くその通りでしたね。
でも、20代で初めて見たころには、ロビンウイリアムはまだこの世にいて素晴らしい演技を世界に披露してくれていて、20代の自分にもそれなりの未来があってそれが平凡で退屈な日常を何とかやり過ごす原動力になっていたんだけど・・・
あれから20数年、ロビンウイリアムはこの世からいなくなって、自分には退屈な日常だけが残って、、、だからこそあの頃の思い出に浸りたかったのかな・・・
「君は悪くない」
「知っているよ」
「君は悪くない」
「知ってるってば!」
「君は悪くない!」
「やめてくれ!」
「君は悪くない」
「・・・」
みんなそーやって誰かに認められたい
でもそのためには自分をさらけ出して相手に、他人に、ぶつかるしかない・・・
「それが本当にお前のやりたいことなのか?」
自分の殻を破って初めて自分の本当にやりたいことすべきことがわかるんだ!
きっと20代の自分もこの作品を観てそー思ったはずなんだ、でも20数年後、退屈な日常しか自分には残されていないと本当にそんな風に思っているなら未だ自分の殻をぶち破れていないだけなんだ。
作品はもちろん何も変わってはいない。そして見ている自分も・・・なにも変わってはいない・・・これがはたして残酷なことなのか、実は自分にはわからない。だってロビンウイリアムと違って自分にはまだ朝日を気持ちいいと思える日常があるし、自転車で遠出して、あるいは筋トレして肉体を疲弊させて、または仕事終わりの達成感、解放感、それが気持ちよく思える日常が間違いなくあるわけだし、これが自分が20数年で手に入れたささやかなほんとにささやかな処世術なんですね。だから自分の殻を打ち破れないとしてもなんとかここまでこれたなら、逆に自分の殻の中で社会に繋がっていくやり方もアリなのではないでしょうか??
なんか全然まとまりがなくなってしまいましたが、この作品を20数年ぶりに見ながら、いや見終わった今そんなことをぼんやりと考えました。
作品については、少し価値観の違いでぶつかったロビンウイリアムと知人の大学教授が最後親しくしゃべりながら階段を上がっていくシーンがとても良かったです。
でもその大学教授がせっかく紹介してくれた会社を蹴ってしまうマットデイモンの行動は、サラリーマンの自分にとっては大学教授のこと思うと、なんだか・・・なんだけどマットにはそれ以上に価値あるものに出会ったわけだからそれはやはり単純にうらやましい!
あのラストシーンからエンディングロールはやはりサイコーでした!
ホント、まとまりがない文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました。