のど自慢
こんにちは。
「のど自慢」
また20数年ぶり、、、
この作品98年の秋にモニター試写の抽選に当選して梅田は堂島の東宝の試写室で観たんだよな~
1998年って自分的にいろいろなことがあり過ぎて人生で一番濃い一年でした。
そして残念ながら20年以上たってもあれ以上濃い時間はまだ今のところやってきていません・・・
まぁそんな濃い一年が終わろうとしていた銀杏くさい大阪の街でまた名作に巡り合ったわけです。
事前情報では、また竹中直人がマイク握ってキャッキャやってるわ~ぐらいにしか思っていなかったんですが、これが涙あり笑いありそして少しのホッコリありとまさに映画の王道!よっ井筒監督!やるね!って、何様やねん!
狭い試写室でしたが、映画が終わった後、なんかあ~良い作品見せてもらった!という満足感が試写室全体に広がっているのがよくわかったし、東宝の人もかなりの手ごたえを感じていたのではないでしょうか?!
たしか年明け過ぎにお正月映画第二弾的な感じで公開されたと思うけど結構ヒットしたんじゃないかな・・・そこらへんは思えてないけど・・・
まず大人から子供まで楽しめるというのが良い。
そして音楽を題材にしているから感情移入しやすいんですよね、しかものど自慢本番が物語のクライマックスなんて、ホントよくできています!
あと、井筒監督独特のあの関西ノリの演出もいいですね。
散髪屋の常連親子。
娘が急いでテレビののど自慢見るために親父のいる散髪屋にやってくるんだけど、息を切らせながらやってきた娘に対して
「おい、ちゃんとガスは切ってきたか!?」
今言わなくてもいいじゃん!でも言っちゃうよね!
ホント、物語と全く関係ないこんな一言が娘と親父の関係をさらりと表現してくれているし、この親父が笹野高史なんですが、この人が真面目一辺倒の小林稔侍演じる散髪屋に通っているってのがもう色々なネタ振りになっているんですよね!
あと、なかなか自分の気持ちをうまく伝えることのできない女子高生がある想いを込めて歌うシーンとか・・・
室井滋、尾藤イサオ、大友康平、松田美由紀、、、ほんと皆さん芸達者です!
とにかく大好きな1998年に観た大好きな映画です!
皆さんにもぜひ見てほしいです!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
マグノリア
あけましておめでとうございます。
昨年、年末に「マグノリア」再見しました。
これも大学時代に観て、それ以来です。
大学の卒業を間近に控え今はなき、大阪の北新地近くにあった東映会館で確か公開直後のオールナイトで観にいった記憶が・・・
時はおりしも超就職氷河期真っさだなか!自分も時代に逆らうことなく卒業後の進路は
未定・・・
一緒に観にいった仲の良かった友人も卒業を機に実家の広島に帰省しお別れ、
色々なことが変化していくこの久しぶりの感覚に
「あーついに自分の大学時代も終わってしまうんだなぁ~」と今ままで見て見ぬふりしてきた現実が目の前に否応なしにやってきてとまどうことしかできませんでした。
どうしようもなくなっている若者たちが夜中の東映会館のさびしい座席に座っていたわけです。
で、そのスクリーンに映し出されていたものは・・・
なんていうのか・・・どうしようもなくなってどこにも行き場がなく、それでもその場から脱出できなくてもがき続けている人々の物語でした。。。
そして衝撃の結末が!
大画面で体験したあの結末にフラフラしながら早朝の梅田の喫茶店で映画の感想を述べあい、なんだか重い足取りでてくてく歩いて帰宅した、2000年3月。
あれから20年振りのマグノリア。
北新地の東映会館はもうずいぶん前に取り壊されてその後その場所にできた建物は長い間誰にも使われることなくフェンスに囲まれた謎の空間になり、あのとき一緒に観にいった友達とも卒業後、メールのやり取りはしたもののついに二度と逢うことなく音信不通になっていきました。
そんなことをぼんやり思い出しながら、20年ぶりのマグノリアを楽しみました。
物語、というか映画自体本当によくできていて、3時間近くの作品にも関わらず全く時間を感じさせることのない内容でした。
あの結末がなにかと話題になりますが、あの結末が衝撃なのはやはりそこまでの過程の閉塞感がきちんと描かれているからなんでしょうね・・・その閉塞感をぶち破る結末!特にトム・クルーズの演技が良かったのと、やっぱりあのエイミーマンの音楽ですね!
なんで初見当時すぐにサントラを購入していました。。。
Magnolia - Aimee Mann - Wise Up
あれから現実の世界は相も変わらずでもがいてもどうにもならなく閉塞感だけが続いている日常。
あの衝撃的な結末なんて全く訪れることもなく今に至るわけですが、結局無事ここまで生き残ってここにああでもないこうでもないなんて20年前のこと書いてることがこれ以上なく幸せなことなのかな、なんて思うようにしている新年の昼下がりです。。。
今年もよろしくお願いします。
グッドウィルハンティング
こんにちは。
そろそろというかやっと肌寒い日が訪れてきていますね。
さて、また20数年ぶりに「グッドウィルハンディング」を見ました。
なぜ今みようと思ったのか?
ツタヤをウロウロして何見ようか迷っていたら「90年代の見るべき映画」的な特集の棚があってそこにあったので、、、とにかくなんかしっとりと20代の自分に語り掛けてくれた作品で「俺が朝お前を迎えに行くとき・・・」のベンアフレックのあのセリフとラストシーンが特に印象に残っていたのですが、今回も全くその通りでしたね。
でも、20代で初めて見たころには、ロビンウイリアムはまだこの世にいて素晴らしい演技を世界に披露してくれていて、20代の自分にもそれなりの未来があってそれが平凡で退屈な日常を何とかやり過ごす原動力になっていたんだけど・・・
あれから20数年、ロビンウイリアムはこの世からいなくなって、自分には退屈な日常だけが残って、、、だからこそあの頃の思い出に浸りたかったのかな・・・
「君は悪くない」
「知っているよ」
「君は悪くない」
「知ってるってば!」
「君は悪くない!」
「やめてくれ!」
「君は悪くない」
「・・・」
みんなそーやって誰かに認められたい
でもそのためには自分をさらけ出して相手に、他人に、ぶつかるしかない・・・
「それが本当にお前のやりたいことなのか?」
自分の殻を破って初めて自分の本当にやりたいことすべきことがわかるんだ!
きっと20代の自分もこの作品を観てそー思ったはずなんだ、でも20数年後、退屈な日常しか自分には残されていないと本当にそんな風に思っているなら未だ自分の殻をぶち破れていないだけなんだ。
作品はもちろん何も変わってはいない。そして見ている自分も・・・なにも変わってはいない・・・これがはたして残酷なことなのか、実は自分にはわからない。だってロビンウイリアムと違って自分にはまだ朝日を気持ちいいと思える日常があるし、自転車で遠出して、あるいは筋トレして肉体を疲弊させて、または仕事終わりの達成感、解放感、それが気持ちよく思える日常が間違いなくあるわけだし、これが自分が20数年で手に入れたささやかなほんとにささやかな処世術なんですね。だから自分の殻を打ち破れないとしてもなんとかここまでこれたなら、逆に自分の殻の中で社会に繋がっていくやり方もアリなのではないでしょうか??
なんか全然まとまりがなくなってしまいましたが、この作品を20数年ぶりに見ながら、いや見終わった今そんなことをぼんやりと考えました。
作品については、少し価値観の違いでぶつかったロビンウイリアムと知人の大学教授が最後親しくしゃべりながら階段を上がっていくシーンがとても良かったです。
でもその大学教授がせっかく紹介してくれた会社を蹴ってしまうマットデイモンの行動は、サラリーマンの自分にとっては大学教授のこと思うと、なんだか・・・なんだけどマットにはそれ以上に価値あるものに出会ったわけだからそれはやはり単純にうらやましい!
あのラストシーンからエンディングロールはやはりサイコーでした!
ホント、まとまりがない文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
かたちあるものにとって、時とは偉大なものだ。
かたちあるものにとって、時とは偉大なものだ。時はいつまでもあるというものではあらないが、あるかぎりにおいてはなかなか効果を発揮する。